徳内まつりのご紹介

「むらやま徳内まつり」とは

山形県村山市を会場に、鉦,笛,大太鼓,締太鼓,掛声等からなる囃し手が、豪華絢爛な山車に乗込み、踊り手はアップテンポなお囃子に合せて勇壮かつ華麗に、各団体が特色を活かした踊りを繰り広げます。

なぜ徳内なのか

最上 徳内(もがみ とくない、宝暦4年(1754年) - 天保7年9月5日(1836年10月14日))は、江戸時代中後期の探検家であり江戸幕府普請役。出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)出身。父は間兵衛で長男。妻はふで(秀子)、子は2男3女。 実家は貧しい普通の農家であったが、学問を志して長男であるにもかかわらず家を弟たちに任せて奉公の身の上となり、奉公先で学問を積んだ後に師の代理として下人扱いで幕府の蝦夷地(北海道)調査に随行、後に商家の婿となり、さらに幕府政争と蝦夷地情勢の不安定から、一旦は罪人として受牢しながら後に同地の専門家として幕府に取り立てられて武士になるという、士農工商の身分制度に厳しい江戸時代には珍しい立身出世を果たした(身分の上下動を経験した)人物でもある。(最上徳内wikiより出典)

その徳内が北方への足がかりとして北海道厚岸町に活動の拠点を持った事を縁に、平成3年に北海道厚岸町と友好都市盟約を結び、厚岸町の「厚岸囃子」を元に徳内ばやしが生まれました。